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2013年5月

2013年5月11日 (土)

資料館だより(平成25年5月号)

資料館だより5月号をアップしました。

「tayori-2013-5.pdf」をダウンロード(pdfファイル 554kb)

Tayori20135

2013年5月 3日 (金)

5・6月のピックアップ~置時計(多田元吉関連資料より)~

5・6月のピックアップ展示は、

静岡市が所蔵する「日本近代茶業の先覚者・多田元吉関連資料」より

置時計」をご紹介します。

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※写真は禁転載(以下同)


置時計(静岡市所蔵、1850年代作か)

多田元吉が愛用した外国製の時計です。

その形状から通称「饅頭時計」と呼ばれる時計で、当時はたいへん高価な品物でした。

陶製の文字盤の前後はレンズ状の分厚いガラスで覆われており、

背面からは内部構造を見ることができます。

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ゼンマイが切れているため動かすことはできませんが、

状態は非常に良好で大切に扱われていたことがうかがわれます。

元吉の手元で時を止めたままの姿を今に留める貴重な時計です。


今回の展示では、この置時計のほかに、

元吉が巡察に使用した双眼鏡や愛用の煙管、茶葉を計量する茶秤(はかり)や、

イギリス領インドで使用されていたコインなども一緒に展示しています。

日本茶業発展の功労者が遺した貴重な資料の数々を、この機会にぜひご覧ください。



※多田元吉
(ただ もときち)

文政12年(1829)~明治29年(1896)

上総国富津(現千葉県)の網元の家に生まれた元吉は、幕末には幕府方として長州出兵などに参加しました。

明治維新後は多くの幕臣とともに静岡に移住、帰農して茶園を開墾し(40歳)、茶業の研さんに努めました。


●紅茶生産地インドへの派遣

その実績が認められ、明治政府に登用された元吉は、海外の茶業先進国の視察のため、明治8年には中国、明治9年にはインドへ派遣されました。

日本人として初めてダージリン、アッサム、デラトオンの紅茶プランテーションを巡察し、貴重な茶樹の種子や製茶機械、生産技術を招来しました。


生涯を茶業発展にささげる

帰国後は、紅茶製造法を広めるため全国各地を精力的に巡回しました。

また、茶樹の品種改良や、高品質の緑茶生産用機械の考案、技術書の出版など茶業研究を続け、日本茶業発展の中心的役割を担いました。

後進技術者の指導にも尽力し、多くの指導者が育成されました。茶品種「やぶきた」を生んだ杉山彦三郎も元吉の指導を受けた一人です。

明治23年には長年の功績が認められ、藍綬褒章を受賞しました。

明治29年、脳出血により倒れた元吉は67歳で静かに息を引き取りました。その墓は静岡市駿河区丸子にあります。墓に向かう石段の両脇には、元吉が育成したインド系の茶樹が移植され、寄り添うようにして墓所を見守っています。

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